インディケーション vs スケッチ
あるいは、コココケ対スケッチ ニューヨークの決闘

対決シリーズのようになってしまったが、意味は無い。4月に、待望のソロアルバム「スケッチ」が発売になったので聴いているうち、またしても比べてしまったのだ。

こういう表現は反感もあるだろうが、自分の中で他に上手い表現が見つからないので敢えて使わせて戴くと、この2枚は、水着のグラビア写真とヘア・ヌード写真集の違いに似ている。私感ではあるが水着のグラビア写真にはあきらかな挑発の要素があるのに対し、ヘア・ヌードは自然体な気かするからだ。
つまり何が言いたいかというと、「スケッチ」には気負ったところが感じられず、藤井郷子そのままが味わえるように思ったという事で、それだけでは言葉が足りないように思い例えてみたのだがいかがであろうか。
それから、これは「インディケーション」だけ聴いていた時に「気負ってる」とか思っていたわけではなくて、2枚を聴き比べてみて初めてそう思ったのだということも付け加えておく。

藤井郷子の作る曲は美しい。というのは私の持論であるが、「スケッチ」はこれが良く出ている。いつもならテレて少し隠してしまうところも、そのまま見せているようだ。純情で真面目でちょっと控え目であるとは思っていたが、これほど大変なロマンチストだとは思っていなかった。
録音年月日だけを見ると、この2枚の間には7年と3ヶ月ある。この間に起きた出来事のすべてが「スケッチ」に繋がっていると思うと、貴重な2枚のソロCDだと言わざるを得ない。6月には「インディケーション」も再発される事だし、是非揃えておきたいところなのではないだろうか。

それともう一つ。「スケッチ」と「コココケ」の関係にも触れておこう。
どちらも2003年の夏にニューヨークで録音されている。当初はてっきり「スケッチ」が先でに録音されたものと思ったが、それは「コココケの直後にこの演奏は出来まい」という私の想像によるものだ。
しかし、録音データは逆を示しており、私は当初戸惑いを隠せなかった。少し考えた挙げ句、さすがに録音時期に1ヶ月の間があるので、この間に上手く消化して演奏に繋げたのであろうと納得することにしたのである。ひょっとしたら「貴方がそういう路線でいくのなら私はこういく!」と対向意識を燃やしたのかもしれない。想像しながら聴いてみるのもなかなか楽しいものだ。
私が何を言っているのか。それはコココケとスケッチの両方を聴かないとわからない。
日常と隠し芸、とでも言おうか。相反するような事柄でありながら、どちらも他人からは通常伺い知ることが出来ないという共通点を持っている点がポイントである。
2004/05/31


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