幻想組曲


何となくトリオの新譜「イリュージョン・スイート」を辞書引いて直訳したらこうなった。正しいかどうかは保証の限りではない。
やはり日本語になってしまうと具体的なイメージが湧いたように感じてしまう。英語が堪能な人は兎も角、外国語だとイメージが抽象的で、意味がわかったのかわからないのか判断できないところが良いのかもしれない。

さて、このCDを初めて聴いた時、途中でふと思ったのが「あれ?この曲カルテットで聴いたな」というものだった。
その曲は3曲目の「フライング・トゥ・ザ・サウス」で、テーマのメロディが美しく印象的な曲だが、ゼフィロスの日本盤でも3曲目に入っている。
考えてみると今までだってトリオとカルテットで同じ曲を演奏していたわけで、ザッと曲目に目を通したら、「フューチャー・オブ・サ・パスト」「ジャンクション」の2曲が目に入った。思ったより少なかったが、唯一の曲では無い。
なのに何故今更「カルテットの曲をやってる」と思ったのかと考えてみたら、"今まではトリオでの演奏を先に聴いていた"のだった。
つまり、今まではカルテットのCDを聴いて「あ、この曲、トリオでもやってたな」と思っていたので、それが当たり前だったのだろう。気がついてみると自分でも面白い反応だった。
とは言っても、録音は3曲ともトリオの方が先である。だから本来の順番としては、トリオで演奏した曲をカルテットでも演奏した。というのが正しいのだが、発売はカルテットの方が早かったせいでこのような結果になってしまったらしい。
聴いた順番。というのは聴き手にとって以外と影響力が大きいと言うことだろう。既に発売されているCDを買う順番までは指定できないが、発売が前後したことで聴き手の印象は随分変わるのかもしれない。

そんなわけで「フライング・トゥ・ザ・サウス」を聴いた事で初めて、同じ曲を演奏していることに気付いたようなものだから、記念にその辺りを書いてみたいと思う。

上に書いた3曲の一番大きな違いと言えばトランペットの参加であるが、これは当たり前なので省くべきところであろう。
しかし、この点から考えて面白いのは、1曲の中でソロを取っている時間の割合に注目してみると、カルテットは藤井郷子のソロがはっきりと短いことである。
ドラムとベースのソロは同じくらいだから自分のソロを削って田村夏樹に吹かせている事になるが、これは別に気を使っているわけでは無いだろうし、また、単にソロ廻しをするだけの集団でも無いので、カルテットというグループの"色"を出すための工夫であることは間違いない。
グループが違うのに同じ演奏をしていてはつまらない。自分の作ったシナリオの崩壊・変貌・再構築を楽しんでいると思われる藤井郷子は、最終的にそのグループが紡ぎだす演奏を大変大事にしていると推測される。強力なベースとドラムに対向して肉体的に疲れるこのカルテットで、頭脳労働と併用するのは大変な仕事であろうし、その意味では田村夏樹の存在を大いに利用しているのは確かである。

まぁ、こんな話も本人に問いただしたら、「カルテットは弾かなくて済むから楽なんですよ」くらいの身も蓋も無い答えが帰ってきそうな気もするが...

一方、ではトリオはどうなんだ?と言えば、一般的にトリオくらいの演奏は、全体像を頭に入れてなくても、3人がそれぞれ好きに演奏していても形になる単位である。「三竦」などと言う言葉があるくらいで、3人という単位はそれぞれを意識し易く、良くも悪くも相乗効果は高い。呈示したシナリオの行方について、ある程度黙ってその結果を楽しめるだけの余裕をもって演奏に臨んでいるのではないだろうか。
つまり、労力の大半を肉体労働に向けても自分の音楽を維持できるグループなのだと言うことである。
逆から言えば肉体労働に力を注ぐために、テンポはややゆっくりというか、じっくりというか、しっかり1音1音を聴かせるような演奏が多い。

2つの「フライング・トゥ・ザ・サウス」を聴き比べれば、3人がそれぞれの存在を確かめるかのように音を出しているトリオに対し、一丸となって突き進むようなのがカルテットの演奏であり、「ジャンクション」「フューチャー・オブ・ザ・パスト」も、その傾向は基本的に同じである。
まぁ、トリオの一貫性に比べカルテットはソロによる演奏の展開のさせ方が「フライング・トゥ・ザ・サウス」だけちょっと違う気もするが、この話の中では各人のソロの取り方は問題にしないことにする。グループの演奏として結果聞こえて来る音の話だけに搾ろう。

さて、ジャズのトリオとジャズロックのカルテットという簡単な区別もあるが、敢えてそこには触れず、長い回り道を経て達した結論は「藤井郷子にとって、トリオとカルテットでは頭脳と肉体の労働割合が違う」というものであった。
考えてみると、それはそのまま、それぞれのユニットの違いにも当てはまると思うのだが、だからと言って聞こえて来る音楽の違いを説明する言葉にはならないのだと、今になって気がついた。うーむ。
(2004/07/07)

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