名古屋人
2004年秋、相継いで2枚のオーケストラによるCDが発売された。ニューヨークのオーケストラによる「ブループリント」と名古屋のオーケストラによる「ナゴヤニアン」である。
で、この2枚に共通するのが「Nagoyanian」という曲なのであるが、これは、名古屋でのライブを何度かこなした藤井郷子が、名古屋及び名古屋に住む人々の印象を曲にしたもので、意味はそのものズバリ「名古屋人」。ライブの時に「今日初めてこのメンバーで演奏します」と言ってたものだから、てっきり名古屋オーケストラでの演奏が初演であると信じきっていた。
だから、ニューヨーク・オーケストラのCDが出たときに、先に世に出てしまった事を少々悔しくも感じたのであるが、よくよく見てみれば、録音はニューヨークの方が先である。2003年の7月に録音されているわけだからして、実に8ヶ月程も先に、既に演奏されてしまっていたのだ。
「初めて」というのは「名古屋のオーケストラで演奏する」のが初めてだったのであって、この言葉は、“演奏”ではなく“メンバー”にかかっており「Nagoyanian」の初演奏では無かった。ということになる。悔しがったのは一体何だったのだろうか。
さて、そんな曰くつきの「Nagoyanian」であるが、どちらが先かなんてこだわりは忘れて2つの演奏を聴き比べると大変面白い。集まってどのくらい練習したのか知らないが、ニューヨークはスタジオ録音でもあるし大変まとまっていてスムーズに演奏が進行しているのに対し、名古屋の方はライブで現場を観ていた事を差し引いて聴いても、まるでぶっつけ本番であるかのような混乱ぶりが伺えるのだ。
もっとも、名古屋オーケストラでは、わざとアクシデントが起きやすいように藤井・田村の両氏が仕組んでいるとしか思えない節があって、やたらに新曲を入れたりして、同じ曲の演奏が少ないので「まとまりが無い」ような書き方をするとメンバーが可愛そうかもしれない。だが、これがまたライブの時は非常に面白い具合に働くものだから、あの時の面白さがどれだけ生を観てない人に伝わるのだろうかと考えると、ますますメンバーが可愛そうな気がしてくるのである。
名古屋の特徴の一つに藤井郷子がピアノを弾いていないのを挙げる事も出来ようが、これは他のオーケストラでもあまり弾いておらず、ピアノが入る事が藤井郷子の音楽の絶対条件ではないので参考にならない。それより、ギターのやかましさを取り上げる方が正当だろう。
名古屋においては、メンバー集めから、録音、ミックスに至るまでギターの臼井康浩が深く係わっており、ステージではメンバー紹介も彼の仕事である。CDでも実際、生で聴いてた記憶よりもギターの音量がでかい。
これは、あえて言えば藤井郷子の支配力を低下させているわけであるが、その事で生じる予測不能な事態を、これまた藤井郷子は狙いの1つに入れているような気がする。
藤井郷子はオーケストラを4つ持っているが、その中でも、名古屋のオーケストラを特に面白がっているようで、結成から日が浅く「この曲はこういう風に」といった予定調和が一番少ないのが要因のようである。
つまり、本来なら藤井郷子の曲の緻密さは、時間をかけないと完成度は上がらないのだけれど、そこを敢えて準備不足のままにしてみたり、指示系統にワンクッション入れてみたりしているのには狙いがあって、ニューヨークや東京でのオーケストラの経験から、意図的に同じ成熟をしないよう仕向けることで、自分の想像を超えた結果を楽しみにしているのではなかろうか。と、いうことなのだが深読みし過ぎだろうか。
ある意味では名古屋オーケストラの楽しさというのはスポーツ観戦に近いと言えるだろう。聴きながら、好プレー珍プレーの1つ1つに一喜一憂しているようなものである。田村夏樹の曲が良く似合うのも特徴の一つに入れて良いかもしれない。
しかしながら、一旦そういうオーケストラだと認識すると、こちらもそれを期待してしまうもので、先の2004年11月に行なわれたライブでは、初めての曲が少なかったせいか、なんだか少しまとまって聞こえ、逆に寂しく感じてしまった。
何時までも同じではつまらないとは思うが、「いつもの」も捨てがたいものである。17人もいて合奏してるのに連携が取れてなくて、でも、ちゃんと曲にはなってて、時には笑いまで取れる。こんなオーケストラは貴重である。これからも生を見逃すわけにはいかない。
(2004/12/24)
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