郷子ちゃんは大嘘つき
ばんそう - 声楽や器楽の演奏に合わせて、その効果を増すためにおこなう、補助的な楽器の演奏。

アルバム「山吹」の話である。「今度、歌の伴奏してるCDが出ます」と聞いてて、強く興味や期待を持っていたわけでは無かったがとりあえず買ってみたところ、大嘘だった。という話である。
アルバム紹介にも少し書いたが、これはデュオではあっても伴奏ではない。航の歌をもり立てる為に、いろいろと尽力している事は伺えるが、それはアルバムの録音や販売といった企画をも含めての話であって、補助的な演奏をしているわけではない。
ライブでは「親子ほどの齢の差が・・・」などと言っていたが、実際にはそこまで離れているわけでもなく、ただ、齢の離れた妹を可愛がるように優しく見つめているのは確かのようである。

ただし、このような感想もライブを経験して以降のものであって、当初アルバムのみを聞いたときは、航という歌手が物おじせず、藤井郷子と真正面から向き合っているというか、若さ故の無謀さが良い具合に絡み合った結果というか、しかし、いずれにしろ藤井郷子のピアノと曲のセンス。さらには田村夏樹の詞までが加わったことによる効果を重く見ていたので、航という歌い手にそれほど興味を抱いたわけではなかった。
名古屋で2人によるライブが行なわれたとき、航が見るからにおとなしそうなのを見て少し驚いたのは、あれほど藤井のピアノに向き合って歌ってるのだから、活発で弾けた人間なのだろうと想像していたからであり、演奏が始まると「山吹」とは違い、明らかに藤井のピアノに押されていて、ピアノに合わせて声を出しているようにしか感じられなかった。
がっかりしたような、納得したような気分を払拭したのは、航が弾き語りに入った時である。声の艶、張り、テンション。何処を取っても、つい今しがたまでステージに突っ立っていた人間とは思えない。
「山吹」では逆に注目していなかった弾き語りであったが、これには驚いた。勝手に納得したところによれば、航には絶対的に経験値が足りないのではなかろうか。弾き語りではピアノと向き合っているから自分の中に篭もって演奏できるわけで、内面からあふれ出たものが力となって聞き手に響いてくるのだが、マイク1本で観客と向かい合うには、まだまだ存在感が足らないのである。
しかし、航本人が持っているものと経験値の不足から来る物足りなさは、それを知ってしまうと藤井や田村ならずとも気になってしまう存在であり、後日、他のCDを聴いてみたときも弾き語りが断然良かった。しかし、改めて山吹を聴いてみても、こちらの弾き語り曲にはもう一つ入り込めない事に変わり無く、少し緊張し過ぎくらいなのが弾き語りには良いのかもしれない。などと考えてしまう。

さて、ある意味、藤井郷子もこの航に似たところがあると言えるかもしれない。
それは、藤井郷子は歌わないから表われにくいが、観客と面と向かって演奏するのはあまり得意では無いと思われるからで、さすがに場数を踏んでいるせいか航のようにあからさまでは無いが、ピアノに向かって内面から溢れ出て来るものを聴かせる辺りに共通点を見出ださずにはいられないからである。

何にしても、航の歌と藤井のピアノ。先の楽しみなユニットであるのは間違いなく、是非、今後も続けていってもらいたい。と切に願うのであった。
(2006/01/26)

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